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子どもが成人を迎え、子育ての20年を振り返って思うこと ~夜泣き編~

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今年、我が家の次男が成人式を迎えました。コロナ禍ということで式典は

開催されませんでしたが、久しぶりに会う同級生と楽しい時間を過ごしたようです。

成人して、やっと子育てという一大プロジェクトが終了したという感じですが、

これまでの20年間を振り返るといろいろなことがよみがえります。

我が家には男の子が2人いますが、それぞれ個性があり、兄弟でも性格はまったく違います。

今年成人を迎えたのは次男の方で、気が付いたらもう20年……。って感じです。

ひどい夜泣きに始まり、不登校や高校中退などなど、いろいろなことがよみがえってきます。

そんな盛りだくさんの子育てエピソードの中で、今回は今だから思うこと!

夜泣き編についてです。

中医学の先生との出会い

次男は生まれながら夜泣きがひどく、寝たと思ったら2時間くらいで泣いて起きる日々。

病院に行って診てもらっても、いろいろなことを試しても効果がなく、

夜中にそっと次男を車に乗せて2人でドライブに出たこともありました。

眠れない日々で親子共々疲れ果てていた時期に、引越し先の子供病院の先生

との出会いが運命の出会いでした。

その先生は中医学の先生で、問診と症状を見て「アレルギーの検査をしましょう」

ということになり、検査をしてみるといくつかのアレルギー反応が出て、

診断結果は多数の食物アレルギーとアトピー性皮膚炎もあるということでした。

引っ越し前に近くの皮膚科にも受診していたのですが、

何度確認してもアトピー性皮膚炎ではなく、ただの乾燥肌だと言われていました。

処方された保湿剤を塗っても良くなることはなく、夜泣きも治まらないままでした。

この状態が3年ほど続き、いよいよ”かんの虫”ではないかと思い、

”虫封じ”に行った方がいいのかも?と思っていました。

しかし、引っ越し先の病院で”アトピー性皮膚炎”だと診断されて原因がはっきりして

少しほっとしたのを覚えています。

アトピーでかゆかったからストレスで泣き止まなかったんだと思うと納得です。  

かんの虫も赤ちゃんや子どもが理由もなく強くぐずったり、キーキー泣いたり、

夜泣きをする原因は、精神的症状の神経の昂ぶりと自律神経のアンバランス、

肉体的症状の胃腸障害の両方から起きるということのようです。

どちらも子供にとってストレスがかかっているからということなのですね。

原因がわかったことで、ここから親子二人三脚で(なぜかパパは参加せず……。)

アトピー性皮膚炎や食物アレルギーを治すため、先生の厳しい指導のもと、

”体質&生活改善大作戦”がスタートしたのでした。 

体質&生活改善 * 難易度の高いミッション!

病院では、まずアレルギー反応とは?という入門編から始まり、原因について、

改善が必要な食事の仕方や環境を整えることの必要性などを丁寧に教えてくれます。

人気のある病院で、常に混みあっているにもかかわらず、

診察の時にはたっぷり時間を取って指導してくれて、

待合スペースにはアレルギーに関する本や、中医学から学ぶ体の仕組み、

健康を脅かす添加物や化学物質についてなど、プチ図書館並みにあらゆる本が並び、

貸し出しもしてくれるので家でじっくり読んで学ぶこともできました。

そしてすごいことに、月1で休診日に先生が指導してくれる無料セミナーまでやってくれるのです。

「この先生は本気で治そうとしてくれている!」と本気度がわかり、

今までの生活をガラっと変えなくてはいけない難易度の高いミッションに取り組む決意をしました。

*アレルギーの原因

学術的には、「ヒトが持っている消化や処理能力を超えた異物の体内への侵入は、

過剰になるときアレルギーや異常な反応を起こす」となっています。                        

アレルギー反応を起こしやすい処理能力を超えた物質例としては、

牛乳、卵、肉、過剰な砂糖、過剰な果物、食品添加物、合成洗剤、室内汚染、

大気汚染物質、農薬、ダイオキシンなどの環境汚染化学物質などです。                                         

反対にヒト(日本人)が長い年月をかけて処理する力をつけたものの例としては、

米、野菜、みそ、しょうゆ、塩、温度変化、湿度変化などです。                          

アレルギー反応の考え方として、

アレルギーの原因となっている物質や環境など=自分の体に合わない有害なものを

体が教えてくれている。そして化学物質によって低下した免疫力を補うために

アレルギー反応を強くさせて生体防衛をしている。と考えられているようです。                 

このことから、アレルギーを治療するときは、原因となっているアレルギー物質を

食品や生活環境中から排除し、ヒト(日本人)としての体質にあった食生活をすることと、

アレルギーを悪化させている環境・食品中の化学物質を減らすことが大事

だと考えられているそうです。

そして次男が反応したアレルギーを治療するために出されたミッションがこちら ☟ 

 アレルギー検査で数値が高かった5品目

 (ピーナッツ、小麦、トマト、ゴマ、大豆を含む豆製品)の排除           

 添加物・白砂糖・残留農薬・化学物質などを極力排除

・ 調味料の切り替え

・ 衣料品は化学繊維から綿素材へ切り替え

・ 洗濯洗剤は合成洗剤をやめ、洗浄成分が石鹸のものに切り替え

・ シャンプーやボディーソープなども石鹸に切り替え

・ 寝具は綿素材にし、掃除機などでダニを排除 

他にもありますが、この7点はできる限り継続するようにしましょうという指導でした。

1番大変なのが食事でした。買い物に行っても、1つ1つ成分表を確認しながらの

買い物なのでとっても時間がかかります。

加工品やお総菜など、詳細が明確でないものは買わず、

外食も危険なのでほとんど行かなくなりました。

困ったのは、幼稚園のお友達の家に遊びに行ったときにおやつを出してくれたりするのですが、

うっかり手を出してしまう危険性があったことです。

お邪魔させてもらうお家のお母さんにはアレルギーがあることを伝え、

自分が食べる分のおやつは自宅から持っていかせるのですが、

遊びに夢中になっていたり、

普段我が家では食べることのできないキラキラした美味しそうなおやつを見ると

やっぱり手が伸びてしまうことがあることです。

給食も当然みんなと同じメニューは食べられないので、

献立表とは別に使用材料がわかる成分表をもらってチェックをし、

食べられない食材が入るメニューは家から代替えのものを持たせて対応したりしました。

とにかく慣れない大変な日々へと生活が一変してしまったのですが、

私のやる気スイッチが入った出来事は今でも鮮明に覚えています。

次男が3歳のときに中医学の先生の病院に通院しだしたのですが、

まだ通院し始めたばかりだったので皮膚炎も治まらず、かゆみがひどくて搔きむしり、

血だらけで包帯グルグル巻きの状態でした。

そんな状態のとき、夜かゆみで起きてしまった次男が泣きじゃくって私にこう言ったのです。 

「ママ~、なおして~ ( ;∀;) 」   

そのあと私は、次男を抱きしめながら2人で泣いてしまいました。

あの時の次男の表情は今でも忘れられません。

こんなことがあって、スイッチが入った私はアレルギーについて勉強を始め、

次男のアレルギー克服大作戦‼が始まりました。        

病院での治療は、飲み薬としてその都度症状にあった漢方薬の処方です。

塗り薬は、スキンケア方法の指導と、ベースは”プロペト”や”サトウザルベ”といった

皮膚の保護を目的とした軟膏で、かゆみの強さや、肌の炎症状態にあわせ、

それらを軽減する非ステロイド系軟膏が処方されました。

基本的にステロイドなどの強い軟膏は処方されません。

あとは、家でできる限り上記の7点のミッションの継続と、

かゆくなって掻きだしてしまったときに「掻いてあげるよ」と言って

代わりにやさしく掻いてあげることです。

自分で掻いてしまっているときには気持ちが放心状態となって、

制御できなくなってしまっているらしいので、掻いている手をとめて

代わりにさするように掻いてあげることがポイントです。

食物アレルギーに関しては、やはり上記のミッションを継続することと、

好きな物でも続けて摂取せず、回転させることが重要なようです。

次男が幼いころは食物アレルギーの対処法は除去食というのが一般的でしたが、

今では経口負荷試験といってアレルギーのある食品を摂取して、

症状の有無を確認する検査をし、少しずつ摂取する分量を増やしていきながら

食べられるようにしていく指導もあります。

次男の場合はアレルギー物質に”小麦”もあったので、先生に注意するよう言われていたのが     

「小麦による運動誘発性アナフィラキシー」です。

これは小麦製品を食べた後に運動をすることで起きるものです。

摂取してから数時間以内に運動をすると、全身のじんましん、むくみ、咳き込み、

呼吸困難、血圧の低下によるショック状態などの症状が起こり、

至急救急車を呼ぶなどの迅速な対応が必要になります。

学校などの集団生活では給食があるので、

摂取したあとの昼休み時間や体育の授業など注意が必要になります。

とにかく学校の先生、保健の先生、子供の友達の父兄など周りの人達と

密にコミュニケーションをとっておくことがとても大事でした。

アレルギー治療を始めて17年。今、思うこと

幼少のころにアレルギーを発症しても2次性徴が終わり、身長の伸びが少なくなり、

性ホルモンが十分に分泌されるようになるとアレルギーは起こりにくくなるようです。

問題は子供から大人になるまでの間に急激に悪化することがあるようなのですが、

この時期を乗り切り、自分で考え、食品を選べる時期まで周囲の大人たちの

見守りが必要だということです。

次男は思春期の18歳ころまでは良くなったり、悪化したりを繰り返してきました。

その都度引き金となったのは、環境の変化によるストレスだったり、

部活動を始め、毎日浴びる紫外線だったりといろいろです。

こういう慢性疾患を抱えているとなかなか周りと同様の生活スタイルは難しくなり、

親子共々、日々ストレスは蓄積していってしまいます。

毎日3時間おきくらいに起こされ、

かゆがる次男をさすりっていた生活も7年くらい続いたので、

正直泣きたくなるくらい辛い時期もありました。

でもがんばってこれたのは、やはり次男の「治して~」の泣き顔が焼き付いていたからです。

このころの私はこんな風に考えていました。

「きっと、この先の見えないトンネルも抜ける日が来る!

一生これが続くことなんてないんだからっ」

こう思って、頑張りすぎず、マイペースでいくことに。

学校も遅刻や行けないこともあったり、成長すると、

思春期ならではの周りとの違いに悩む日もでてきたりしました。

でも無理に合わせなくてもOK。と病気を受け入れ、スローライフを目指してみました。

19歳になるころ、だいぶ肌の調子も良くなって、

ほぼ日々の肌のお手入れは保湿剤を塗る程度で済むようになりました。

20歳になった現在では食べ物もアレルギー症状がひどく出るピーナッツは

食べていませんが、他はそんなに気にせず何でも食べられています。

症状が強く出て辛いときは、

気持ちに寄り添って一緒に乗り越えてあげることが1番のクスリだな~と感じました。

   

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