料理の大切さ『料理と利他』

くらし

料理研究家の土井先生の別の本が読みたかったのですが、
とっつきにくい難しそうなタイトルですが、装丁がでゆるく、中をちょっと見ると対談形式なので読みやすそうと思い読んでみました。

著者は政治学者の中島岳志さん × 料理研究家の土井善晴さん。

土井先生は長年多数の料理番組をやっていて一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社、2016年)という名著が有名です。

中島岳志さんは東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の政治学者です。

政治学者の人との対談…と聞くと難しそうな気がしますが、全くそんなことはなく難しいこともかみ砕いて説明しているし、料理を通して本質的なことを紐解いていくと対談形式なのでどんどん読んでいけます。

「土井さんの言葉に救われた」「土井さんの本を読んで楽になった」と言われるほど
名言がいっぱいなので以下メモ、抜粋です。

抜粋メモ

家庭料理は民藝だ!

美しいものは追いかけても逃げていく。でも、淡々と真面目に仕事すること、自分が生活をするということで、美しいものはあとからついてくるじゃないかということ

家庭料理もそれと同じ。毎日食材という自然と向き合い、じかに触れながら、家族を思って料理する。そういった日々の暮らしを真面目に営み、結果として美しいもの(暮らし)がおのずから生まれてくる。そのとき、プロの料理人を目指していた私が下にみていた家庭料理のなかに、本当に美しい世界があるということ

家庭料理には作為のあるクリエイションは必要ない

日常では一物全体と言われるように、捨てるところが何もない、無駄にせずすべてを食べるという考えです。

現代ではハレをまつりごとではなく、ご馳走を食べる日(贅沢をする日)として、みんな大好きな握り寿司やステーキのようなわかりやすいおいしいもの、きれいに整えられたものを食べるようになり、それではカロリー過多になっても仕方ない。メタボの原因を作り、また食品ロスの問題にもつながって、地球にとっても不健康です。

人の暮らしの中から美しいものができてくる。
民藝、意識しないもの、用の美

自力で美しいものをつくろうとか、有名になりたいとか、」そういうものが自分を苦しめている

自然というもののなかに、もうおいしさがある。そこをずっと整えていくことによって何か料理ができてくる。

食べるまでにプロセスのなかに、人間と人間の関係性のなかに、ゆたかな時間がある

愛というような、愛情というか、豊かなもの、それを受け取る経験のなかに無限の人と人の関係、人の向こうの自然との関係、

こどもたちにとっては、手料理というようなものを食べる経験が、未来への想像力、イマジネーションをはたらかせる力直観力みたいなものを育むものだということ。目に見えないものをはたらかせる力、いわゆる健康のため栄養のために食べるという以上のものが、料理をして食べることのなかには生まれてくる

優しく対話し、感覚と経験に照らし合わせて判断をくりかえしながら、視覚的、嗅覚的、聴覚的触覚的に現れる「きれい」に導かれて調理する

レシピを提示していながらレシピを超えようとされている

レシピは設計図ではないから、異才された分量とか時間に頼らないで、自分でどうかなって判断する

いつも変化するし、正解はない

レシピ自体が近代的なもので、政治学で言う設計主義。人間がすべてをコントロールし、こういうふうにやれば世の中がうまくいくという考え方。そういうものが他者を抑圧してしまったり、枠の中にはめようとして暴力的な行為を行ったりする。

レシピを意識した途端に、感覚所与(五感)を使わなくなる。どうなるな分からないというところで、心を使って料理する

いろんな素材と対話しながら汎用可能

和える_他のものと組み合わせないで独立させるということは、それぞれがご機嫌なこと。和食では混ぜるってことがない。それぞれの存在感を、美しいところを尊重させて、隣同士に・・・混ぜ合わせ全然別のものをつくりだそうという文化はない

味にムラがあるのがおいしさ

きれいやなと思ったところで止める。それが一番おいしい瞬間

「きれい」は日本人の倫理観そのもの きれいという言葉は、嘘偽りない真実、悪意のない善良なこと、そして美しいこと。真善美。きれい、汚いは日本人の倫理観そのもの

どのくらい焼かないとだめなのか、火力は、手はどのくらい動かすべきか、いつ火を止めるべきなのか、ものすごい複雑な、時間と熱量、個体の大きさ、質感、あらゆるものをかいけつしてるのが料理。
絶対に頭ではできなくて、本当に感覚的なもの

流れに乗ってる、自分は全部知ってる、気持ちいい、きれいだなとかおいしそう、素材と対話結果として答え合わせができる、レストランで食べるおいしさとは違うもの

素材が良かった 自分というようなものをなくすというところに日本の文化があって  
意志というものがすべてを決定してるという観念に自分たちはとらわれすぎてる 
与格-私にとても大きな嬉しさがやってきてとまどっている わたしにはそう思える 私が思いをコントロールしているのではない

料理からどんな食材を使おうかと考えることは台所を飛び出して、社会や大自然を思っていることにつながります。」

台所の安心は、心の底にある揺るぎない平和です。」食材という自然に触れて食べる人のことを思って作ることが利他。

プロの料理はいかにお金をもらうか、洗練。淡々と真面目に仕事すること

人の力でおいしくすることができない世界。人間業ではないのが料理自然のものをどう活かすか、そこに人間が果たすちょっとした作用というものが料理

料理するという行為そのものが愛情
料理する=すでに愛している
料理を食べる=すでに愛されている

家庭料理は子供の居場所を作っている
家庭料理のなかに人との関係、自然との関係、道具、料理と自分との関係など無限の

健康のため栄養のために食べるという以上のものが料理して食べることのなかには生まれてくる

レシピはあくまでも目安
レシピではなく自分でどうかなって判断する自然がそうであるようにいつも変化する

レシピはコントロールで非常に近代的、設計主義

レシピを意識した途端五感を使わなくなる
何かに依存すると感性は休んでしまう 心を使って料理する

食事は「料理して食べる」ことだが現代では「食べる」だけでも食事と考えるようになっている食事の意味や目的が変わってしまったことで、おいしいものが失われてきている

戦争や産業革命で滅ぼしたりなくなると新しい食文化できない

料理は自立

その日によって余裕がないときは一汁一菜

おいしいものをつくろうと思わなくても、おいしいものが生まれてくる

利他やポストコロナ(2020年6月の対談です)の価値観を考えるときに、日常をどう生きるかという問題を考えないと、

料理することで地球を大事にできるんだということ
料理って地球を食べていること

いじりすぎない 力まかせの料理はやめておこう

料理は労働、日々の生活のために必要なものにこそ、人間にとって非常に重要な活動労働が全部オートメーションに変わったときの人間というのは、にんげんじゃないんじゃないか

献立というのは料理名から入るのではない
その日の天気、体調、素材から

自然に沿う、自然の方からやってくるものにどう呼応するのか

ヨーロッパの科学的思考、日本は自然中心主義

シンプルにしていくことは手抜きじゃない

西洋のなにか進化しなければいけない、進まなければいけない、変化しなければいけないということを私たちは刷り込まれて、今まさに和食までそういうふうな方向になりつつある。

西洋的な思考が入ってきて、自分が何かせなあかんと思ってつくろうとするから、料理がむずかしいということになってくる

レシピ市場主義 料理の民主化 レシピとは発明

感想


自分の中に習わなくてもある元々ある感性を信じて料理する。五感を使う。

自分で判断すること。それは自分を信じること。

すべてのことはつながっていますが、料理からも生きること、生きる上で大事なことにつながっていると思いました。

日々の営み、家庭料理とは当たり前のことがないがしろにされやすいけれど、なんて尊いのかと思いました。

私は料理するって自分の思い通りの好みの味にできるし、だれに遠慮もいらないし自画自賛、自己肯定できるものだと思っています。

家族のために料理している人、自分のために料理している人、料理していない人にも
料理のすばらしさをもう一度見直してみるのにおすすめです。

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